The Savoy Truffle を強力プッシュして、いつも応援してくださっていた、DJのヒロ寺平氏が、住友俊洋とバンドについての投稿を書いてくださいました。
住友俊洋送る会でも、ステージで追悼スピーチをしてくださいました。
ヒロさん、ありがとうございました!
以下、ヒロさんの投稿文を転載させていただきます。
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Good Ol’ Memories
The Savoy Truffle というバンドがあった。
大阪出身5人編成でぶ厚いサザンロックを聴かせるバンドだった。
その音に出逢った瞬間、70年代初頭プロデビューを目指し、喘いでいた自分自身のバンド時代が強烈に蘇ってきた。
いぶし銀、真骨頂の職人技を聴かせるバンド。
彼らには日本で知らない人はいないステージに到達して欲しい。
セミプロ止まりでプロの道を断念した自分の夢を彼らに託し全身全霊の応援をスタートした。
FM802 DJ時代の90年代半ばだったと記憶する。
自分の番組で繰り返し繰り返し彼らの曲のオンエアを続けた。
リスナーの反応も悪くはない、が、しかしそこからの拡がりをなかなか実感出来ない。
Why & How ?
何とか拡がりの突破口を見出そうと悶々と考え続けた。
音楽はリズム・メロディ・テンポで構成され、歌ものはそこに歌詞が加わる。
熟慮の末、僕が見出した答えは「歌詞」だった。
彼らの曲は全て「英語詞」で曲の仕上がりはめちゃくちゃカッコいい。
でも、曲そのものがリスナー「全員」に届いているのだろうか?
対して日本語の歌詞はダイレクトに聴くものに届く。
90年代、ジャンルは異なるがMr.Children、ウルフルズ、スガシカオ、斉藤和義など「歌詞」で聴衆の心を鷲づかみにするJ POPが信じられない程の成長を遂げた。
そこでバンドリーダー、ギター・スミトモとボーカル・モンジを呼び自論をぶつけた。
君たちの音楽はそのまま素晴らしい1級の完成品だ。
ただ、これからの日本で活動する以上英語詞では広く伝わらない。
つまり、リズム・メロディ・テンポだけの勝負ではアピール出来る層は限定的だ。
俺がやっていた20年前の日本に君たちが居たら間違いなく一世を風靡したことだろう。
ただ、今の音楽界でその存在を知らしめるのに必要なのはきっと「日本語詞」だと思う。
難しいかも分からんが「日本語詞」に挑戦してみないか?
アメ村のバー、ネストサルーンで数時間呑みながら懇々と説いた。
答えは・・・
潔くNOだった。
そして頑固に一徹に自分たちの道を進む事になった。
もちろん、僕もその潔さに触れ以前と変わらぬサポートを続けた。
ただ、どうやらこの一夜の出来事が彼らの思考に大きな影響を与えたようだ。
日本で活動するのに日本語詞が不可欠だと言うなら、そんな枠にとらわれない世界を相手に勝負したろやないかい!
そして彼らはイタリアにスペインに、僕が「またかいな!」と驚くほど世界ツアーを繰り返した。その気概に感銘すら覚えその後も彼らとの交流は続いた。
DJをリタイアし、事務所を構えた堀江の路上で車で通り過ぎるスミトモに偶然出逢った。
「ヒロさーん!」と声をかけてくれ、ジェスチャーでエア・スライドギターを返し「バンドがんばってるか?」のサインを送ったのが去年。
そのスミトモ、ギタリスト住友俊洋が今年5月23日に死去。56歳だった。
堀江での偶然の出逢いの時はきっと2019年に発覚した癌との闘いの真っ只中だったはず。
何も知らぬ僕にその片鱗すら感じさせず、人懐っこい笑顔と共に彼は僕の前を通り過ぎて行った。
その「住友俊洋を送る会」が昨夜ミナミBIGCATで行われた。
サヴォイのファン、彼の友人・知人が集いぶ厚いサザンロックの音で彼を偲び、そして見送った。
友人ギタリストたちが紡ぐサザンロックな音にあの頃の長い髪を揺らしながらプレイするスミトモの笑顔が重なった。
7月28日には壮絶な闘病中に録音を終えた遺作もリリースされている。
完成品を手にする事なく逝ってしまった彼の魂の音を聴いてやってほしい。
https://tower.jp/item/5481090/Just-Like-the-good-ol'music
スミトモ、ほんまよぉ頑張ったよなあ。
そっちの事はまだわからんけど、とにかくギュインギュインいわし続けてや。
合掌。
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